清川颪とササニシキ

卸町店長の千葉です。

暦も7月に入った初日からの梅雨空の天気です。あいにく窓の外は雨降りで、このFacebookの記事を作成するのに気持ちが萎えてしまいますね。でも、この雨が上がれば暑い夏が本格的に到来する事を考え、気持ちを改めて頑張りたいですね。

この様な天気にふと思い浮かぶのが、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩が出てきます。職場のある卸町まで雨の中を自転車をこいで出勤していると、本当に雨ニモ風ニモ負ケズと言う気持ちに駆られたりします。この季節の雨は、我々にとっては嫌な雨ですが、稲作農家の人々にとってはなくてはならない雨です。でも、この雨が長引くと稲作の成長には大変やっかいな物になってしまいます。そんな雨や風に泣かされながらも立ち上がった人々のお話をしていきたいと思います。

山形県は庄内地方に立川と言う地域があります。旧立川町(現庄内町)は霊峰出羽三山の一つ月山山麗から流れる立谷沢川に沿う平野部で山形県を横断する最上川の湖畔の南に位置する町で、人口7,014人の小さな町です。この立川町は、春から秋にかけて最上川渓谷から奥羽山脈を越えてくる東南東の強風が吹き荒れ局地風に見舞われていました。土地の人等には「清川颪」別名「清川だし」とよばれ立川町の基盤になる産業である農業や人々の生活を苦しめていました。

昭和51年、この立川町を冷害が襲いました。この冷害に伴い町では緊急の町民集会が執り行われました。集会の議題は、この年に襲った冷害と清川颪による農業被害による農産物の発展問題が取りだ足されて、農業をやめ新たなる町の産業転換にきたのではないかと話されていました。しかし、長年の農業をされている人々が大半の人口を占めている地域ゆえ農業を離れて次の仕事をと言われても誰ひとり賛成できる案では無かったのでした。その中、一人の専業農家の働き盛りの30代の男性が子供の頃から親などが苦しんできた、この風を何とか出来ないものだろうかと話はじめました。しかし、最初は30代の若造が話す夢物語だと相手にしませんでした。彼は語り続けました、子供の頃から親や祖父母が清川颪と向き合って苦労しながらも続けてきた農業をいまさら辞める事などは出来ないし、子供達の為にも何かを残さなければならないんだと熱く語り、それが役場の人間や周りの農家の人々らも感銘を受けて一つのプロジェクトがうごきだしたのでした。

昭和55年 風エネルギー実用化実験事業が立ち上がり1kw小型風車1基での実験が開始されました。成年は、何の知識も無く風力発電を試みて養豚場のヒーター様の電力を確実に確保できたのに伴い野菜や花の温室作りに取り掛かりました。

昭和56年 成年の実験例を聞きつけた役場が科学技術庁に打診し立川町が風力発電のモデル地区と認証され5kwの風車2基を寄付され、地域エネルギー調査がはじまりました。しかし、清川颪は容赦なくこの2組の風車を倒してしまいました。結局、このプロジェクトは共に5年と言う短い期間で終わり思うような成果は出せずじまいでした。
そんな立川町に一つの転機が訪れたのでした。

平成元年 当時の竹下内閣の下にふるさと創生事業が立ち上がり、国内の各市町村に地域振興費として1億円の配布が執り行われたのです。これにより立川町も町を挙げて1億円の使い道を町民から募集したところ、かつての風力発電プロジェクトを覚えていた町民らが、もう一度やっかいものの清川颪と向き合うのがいいのではないかとのアイディアにより風の町計画が立ち上がりました。立川町の町長自ら風の町計画の指揮を取り過去の失敗を繰り返さない様にと日本風力エネルギー協会に脚を運び、その道の第一人者に計画事業にお願いし協力を得ました。

町は、1億円を元に基盤となる風車を建設し、風力エネルギー協会の研究者や大学のエネルギー研究をされている教授らによる現地調査等が開始され内陸部としては比較的に強風に恵まれ年間での風力発電に伴うエネルギー確保が確認され、平成4年には風力エネルギー協会の協力により米国製の100kwの風車3基も建設されました。これで夢物語だった話が現実になり平成7年には、整備計画補助に難色を示していた国もこれを認め立川町新エネルギー導入計画として大きなプロジェクトになり17年経った現代に至っているのです。

強風に泣かされてきた農家の一人の人間の風を逆手に取った夢の発想が夢物語で終わることなく地域を挙げ、町を挙げ、はたまた国を挙げたこの計画が大きく実を結び、立川町の基盤になる産業を黄泉がえらさ風力発電で得たエコに対する思いが農業の方にも生かされ有機農業を取り入れ子供達の為に環境に優しい自然をと動き出したのでした。

余談になりますが、この清川颪に泣かされていたこの土地で栽培されていたササニシキがかつて余目産の幻のササニシキと呼ばれ食通の間では高い評価を受けていたそうです。そして、この風の強い庄内の地で風や冷害にも負けないお米としてつや姫が誕生したというプロセスがあるのでした。

今期の異常な梅雨では、九州地方や西日本の方々が大変なめに遭遇しているNEWSを聞くたびに昨年の我々の置かれていた事と重なり心が痛くなります。もう少しで梅雨も終わると思いますので雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズに頑張っていきましょう・・・

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