卸町店長の千葉です。
6月に入り1週間が過ぎ、日に日に夏の暑さを肌に感じる今日この頃、つい数日前に暫く愛用していなかったシルバーアクセが黒く酸化していたので、シルバー磨きを探したが見つからずネットで酸化したシルバーの磨きを検索したら、歯磨き粉で元に戻ると書かれていましたが歯磨き粉が勿体無いので台所にあったクリームクレンザを駄目もとで使用したら見事に元のシルバーに蘇り思わぬ発見をしてしまった自分です。
ついこの間まで、TVのスポットで流れていたジャンボ宝くじも6/1で販売終了しましたが、皆さんの中で買われた方も多いかと思いますがあいにく自分は買わずにいました。出たときに買うかと思ってはいたのですが、ついつい後回しにして買いそびれているのが幾度あった事やら・・・
しかし、このジャンボ宝くじなんですが、1枚¥300という値段は高いですよね~?
10枚買ったとしたら\3000です。その中で当たったとしても最低\300ですので、使った金額の元手にもなら無いので、ついつい二の足を踏んでしまいます。自治宝くじなら、1枚\100ですから外れても諦めがつくのですがね・・・
こんな宝くじの話題を出したのも実は、食文化の中でも宝くじの様に当たりはずれを用いたものがありまして、今もそれが健在で売られている事を皆さんへの話題に使用かと思っております。当たりはずれを用いたからといっても配当金が出るとかではなく、ちょっとした遊び心を持たせたお菓子です。お菓子といっても高級菓子ではなく駄菓子です。小学校の近所にある駄菓子やさんで売られている駄菓子ではなく、宮城県でしたら仙台駄菓子、東京でしたら雷おこし等の駄菓子です。山形県は、庄内地方に古くから伝わる郷土駄菓子で「からからせんべい」というのがあります。どの様なお菓子かと言いますと、瓦煎餅と同じ生地のお菓子でそれを三角形に織り込んだお菓子です。丸く焼かれた瓦せんべいの角を丸める様に三角形状にし、その中に子供の玩具を紙に包んで入れた駄菓子です。玩具が入っているので、振るとからからと音がするのでからからせんべいと呼ばれています。
発祥の起原は古く元禄時代に始まったそうです。
1688~1708年に江戸で売られていた大黒煎餅と言うのがはじまりらしく、当時はお守り的な要素で小さな木彫りの大黒様が入っていたそうです。もともとは、大黒様を入れていて煎餅の中にそれが出てきたら縁起がいいみたいな感じで江戸の庶民の間で持て囃されていたそうです。その大黒煎餅の主旨を変えて、子供の玩具を入れて作ってみたところ思わぬ反響があり江戸で始まった煎餅が日本中に広がったそうです。子供らが安いお値段で買えるように作られた煎餅が、大人達の間でも話題になり大人買いをする人々が絶えなかったそうです・・・
いつの時代もその様な困った大人がいたんですね。
時も移り変わり、明治から大正末期まで日本中で駄菓子として作られてたそうです。最初は木彫りの玩具が入っていたのが時代と共に木彫りからブリキの玩具に変わったとの事、昭和になりいつの間にか煎餅は寂びれて消えていったそうです。その煎餅の伝統文化を守り現代も駄菓子として山形県鶴岡市の方で残っています。今は時代と共に中に入っている玩具もプラスッチク製の物に変わり、昔ながらの民芸品的な玩具と今の時代の車やロボットなどの玩具と2種類作られているそうです。民芸品的玩具は、時代なのでしょうか根付になり携帯のストラップにもなる様な形をとられています。現代版の玩具は某キャラメルのおまけとでも言うような感じで入っております。
「からからせんべい」も鶴岡だけでしか残っていないかと思えば、なななんと山梨県は甲府しでも季節ごとの風習として残っているそうです。甲府市にある柳町大神宮さんで古くから伝わる「大神祭」と言う祝い事が、毎年、節分の日にとりおこなわれているそうです。その時に露店で売られているのが甲府版のからからせんべいだそうです。
甲府の方の煎餅は、元になった大黒煎餅が節分行事に用いられているそうです。煎餅が纏まって入っている中に1つか2つの割合で大黒様が入っているらしく、それに当たったならその年はいい年で過ごせると言う一つのげん担ぎになっているみたいです。
江戸の職人の遊び心から生まれた駄菓子も、或ところでは郷土伝統駄菓子として今の時代に受け継がれてきている事に先人の人々は思いも寄らなかった事でしょうね。
先人の人々が残した食文化をこれから先も守っていくのが今を生きている我々の仕事だと思いたいです。