そばの実、そば米、そば文化

卸町店長の千葉です。

前回に引き続き今回も粗食のすすめの本に記載されていた事
からの話題に触れていきたいと思います。
前回は、震災直後の物資面の不足による粗食生活についてと炊
き出しに貰ったおにぎりについて終わりましたが皆さんは、おにぎ
りと言えば何を思い浮かべますでしょうか?
自分は、おにぎりと言って思い浮かべるのは立ち食いの蕎麦屋
さんを思い浮かんできます。学生時代にお腹が空いた時に食事
するのに決まって利用していたのが立ち食いの蕎麦屋さんでし
たね。

自分が学生だった頃は、仙台の街にはコンビニもファミレス
もまだ無かった時代でしたので一人で気軽に入れるのが立ち食
いの蕎麦屋さんしかありませんでしたからね~
普通に、ラーメン屋さんとかもありましたが注文してから物が
くるまで待たなきゃならないのと出来上がってきてから食べて
いても後から来たお客さんが座れなく待ってたりされると落ち
ついて食べてもいられない空気間があったので、注文して直ぐ
に出来上がって即効で食べて店を出てこれるのが良くてそれで
立ち食いの蕎麦屋さんを利用する回数が多かったですね。

粗食のすすめの中に作者の方が、立ち食い蕎麦屋について書
かれていた話がありました。そこにはこの様な形で書かれてお
りました。最近の働いている独身の男女の食生活がお決まりの
パターンになってきていると述べています。
朝はギリギリまで寝て起きて朝食も取らずに家を出て、コンビニ
でパンとソフトドリンクを買いそれで朝をすまし昼はサンドイッチや
パスタの様な物ですまし、夜になってやっとご飯ものを口にする
形がお決まりどんどん食がファーストフード化になってきていて、
どこまでたどり着いてしまうか考えるにつけ最後の砦は立ち食い
蕎麦屋 じゃないかと感じているとの事です。

立ち食い蕎麦屋のイメージと言えば、狭い・うるさい・男臭
いな感じがして、あまり若い女性には入りずらい趣がありまし
たが、最近は駅構内の中にあるお店でも間口が広くなり明るい
照明などの工夫が施されてきている為か若い女性のお客さんも
以前に比べると増えてはきていますよね。
老若男女問わずに立ち食いの蕎麦屋に人が集まるのは、だしの
香りに引かれてではないかと作者は書かれていました。
作者は、以前に仕事の関係で海外に滞在することがあったそう
ですがその時インスタントのうどんを食されたそうです。
海外にいると無性に日本古来のだしの香りが恋しくなりインス
タントとは言えほっとしたとの事でした。食文化が欧米化して
きてる現在だけど日本人の多くはだしの香りを恋しく思ってい
る事だともおしゃっています。駅や街角から立ち食い蕎麦屋が
なくなりファーストフードだらけになったら日本の食文化も御
終いだと思うだから立ち食い蕎麦屋は最後の砦に見えてしかた
がないと書かれておりました。

蕎麦と言えば、我々東北に住む者は山形県と言うひとつの固
定概念があります。山形と言えば村山地区の蕎麦街道や河北町
の冷たい肉蕎麦などが有名で山形県内はしかり他県からも蕎麦
を求めに沢山の方が訪れています。県内の各市町村では一般食
堂よりも蕎麦屋さんが多く店を連ねています。その所為からか
ラーメンを食べるのも出前を取るのも普通の日本蕎麦屋さんで
すますのが山形県民のお決まりのパターンになっています。

山形県の蕎麦文化は、内陸を中心として北は秋田県との県境
から南は福島との境まで隠れた蕎麦の名店が多数存在します。
しかし、内陸部は朝日連峰超えた庄内地方になると蕎麦よりは
うどんの食文化が根付いております。蕎麦が無い訳ではありま
せんが、庄内藩があった鶴岡を中心として隣接している市町村
ではうどんがあたり前に食されております。

うどんと言いますと小麦粉で作られた太くて腰のあるのを思
い浮かべられると思いますが、庄内地方のうどんはと言います
と小麦粉で作られたお蕎麦と同じ太さのうどんでして、麦切り
と呼ばれている物です。麦切りと言ってピンと来ないと思いま
すが簡単に言えば冷麦の事なんです・・・

庄内に蕎麦文化が無い訳ではなく、その証拠に日本蕎麦屋は、
各市町村に存在しますし、鶴岡駅や酒田駅にはホームとは違い
駅の表に店を構えています。しかし、自分が庄内に遊びに訪れ
た時に立ち寄った先には庄内名物・麦切りと推した看板やのぼ
りを眼にするのが多かったです。

その庄内で麦切りと同様に地元に根付いている食文化があり
まして、何かと言いますとむきそばと呼ばれている蕎麦粥で、
蕎麦粥と言っても普通の蕎麦粥とは違い一度茹で上がった物を
冷ましてそれをうるかして膨れたそばの実をだし汁で食べるの
だそうです。そばの実と言われてはいますが、実から剥いた物
を使用するのでそば米と言った方が正しいと思います。
むきそばが庄内の人たちの間で根付いている蕎麦文化だそうで
す。もともと庄内地方は北前船の文化があり、庄内から京の都
に品物を送り出しその見返りに京の都の文化を持ち帰り京文化
をそのまま繁栄させた歴史が色濃く残っておりその京の都の寺
院で食されていた精進料理が庄内の料亭で振舞われたのが始ま
りだそうです。

庄内の京文化の一つに、鶴岡の老舗の料亭さんのお座敷を華
やかに彩る庄内舞妓と言う祇園の花柳界を真似た庄内ならでは
花柳界が存在します。それ以外にも、京から持ち込んだ享保雛
が庄内の旧家や山形各地にある旧家に残っております。

粗食のすすめの中に書かれていた立ち食い蕎麦屋の話題から
始まった今回の粗食の食文化は、庄内の変わり蕎麦文化に触れ
る形と相成りましたが、また次回も粗食のすすめから話題をひ
ろっていきたいなと思っております。

因みに、当店では、そばの実の剥いたそば米も取り扱ってお
りますのでむきそばに興味を持たれた方がおりましたら、一度
試してみられたらと思います。それではまた次回まで・・・

粗食のすすめとそば米

 

 

 

 

 

 

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