賢治の教えとブレンド雑穀

卸町店長の千葉です。

2011年3月11日、宮城県沖を震源とした東北・関東大震災が発生、その震災から1年が過ぎ、我々、被災地は少しづつ動き始めてきています。

その震災の年に、一部のマスメディアで未曾有の大震災を経験したこの時だからこそ日本国民は、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」の精神で震災と向き合わなければならないのではないかと取上げられていました・・・

宮澤賢治と言えば、岩手県花巻出身の童話作家であり農学研究家としても知られていますね。
宮澤賢治が花巻市にある花巻農業高校の教師を退職した後、貧しい農民の気持ちを少しでも肌で感じ様と畑仕事に従事し、その経験が「雨ニモ負ケズ」の詩になったと言われております。

その宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」の中に、一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食べの一句がありますけれども、宮澤賢治と言う人物は玄米がからっきし駄目で実際には口にする事はなかったと、実弟の(故)宮澤清六さんが書かれたご自身の本の中で語られておりました。

宮澤賢治が、盛岡に在る農業大学にて学んでいた時に、岩手県の土壌は岩手山の火山灰による長年の地層の為、作物が育ち難い土壌だと目を向け、農学校で土壌学を教える傍ら岩手の土に合う農作物をと試行錯誤しておりました。
もともと、岩手の火山灰からなる地層では土が固く田を耕しても、水稲の根が浅く土壌深く根付き難く東北の他の県とは違い雨風には弱くお米の作付の難しい土地であったそうです。

岩手県北部の一部で、古くから雑穀を栽培していたらしく大正末期に盛岡の農業試験場で米に変わる作物として研究され、昭和の初期に花巻地方を中心として作付され現代に至るそうです・・・

つい数日前、夜中に寝付けずに何気にTVをつけ見ていたら、NHKで路線バスの旅と銘打った番組があり、震災後の岩手県を訪ねる形で花巻から始まり釜石・遠野・盛岡・小岩井と巡る旅を芸能人のお二方がやられておりました。
花巻・釜石から遠野に入り、遠野の民宿に一泊しその民宿で食卓に出された食事に白米の中に黄色の小さな粒のいなきびが混ざったきび飯が出ておりました。

近年、健康食ブームに合い間って有機野菜や雑穀が取りだ足され、色々な企業から何種類もの雑穀MIXが出され販売されていますね。
弊社も御多分にもれず岩手産の雑穀数種と同様にMIX雑穀を販売いたしております。

岩手県民の方々の生活の中に雑穀はあたり前の様に習慣付いているのにくらべ、我々の雑穀を何種も取り入れたMIX雑穀は贅沢品に値する物かも知れませんね・・・
たったひとつの雑穀だけでも取り入れる事が、宮澤賢治の精神かも知れませんね。

宮沢賢治詩集といなきび

 

 

 

 

 

 

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