幻のもち米 女鶴伝説

卸町店長の千葉です。

4月に入り入学・入社祝にお赤飯を炊いたり、筍の季節やほっき貝の水揚げの時期になってきたせいか、それらの食材を使ったおこわ飯を楽しむ季節になり卸町店の店先では、もち米を購入されるお客様が見られるようになってきました。

宮城県では、震災の多大なる被害を受けた県南は亘理地区がほっき貝の水揚げ地であり、節分を境にほっき飯が亘理地区の食堂や料亭にお目見えし春の訪れを告げております。
その他、県南は丸森地区が筍の里として知られ、丸森地区の筍をはじめ各土地で採れた筍が出回る為、スーパー等では季節の筍ごはんが出回っています。

ほっき飯や筍ごはんの他にもふりかけ等でお馴染みのM社で釜飯シリーズと銘打って沢山のかやくご飯の素が売られている為か、季節に関係なくおこわ飯が日常茶飯事に食べれてきてはおりますね・・・

そのおこわ飯に欠かせないのがもち米ですよね。
我が家では、市販の素を使用してかやくご飯を作る時には白米2に対してもち米を1を加えて作ります。これは親に教わった事で今もそのやり方でかやくご飯いわゆるおこわ飯を作ります。

少し前置きが長くなりましたが、今回はおこわ飯に欠かせないもち米についてお話をしていこうかと思います。
もち米と言っても幻のもち米についてお話させて貰います。

もち米と言って、皆さんは何を思い浮かべますか?おそらく皆さんは、こがね餅・みやごがねを大半の方は直ぐに思い浮かばれると思います。
そのこがね餅を上回る品質のもち米で、山形県は庄内の酒田市の一部でしか採れない幻のもち米と言われている「女鶴」と呼ばれるもち米があります。

「女鶴」と呼ばれているもち米は、庄内地方では明治から昭和の初期にかけて作付されていたもち米で、大正から昭和の初期にかけて「女鶴」で作れた餅菓子が皇室に献上されていたと言う記録が残されておりました。
しかし、女鶴は草丈が大変長く倒れやすくて収穫量も少ない為に、地元の農家の人々が栽培し難いうえ手間隙が掛り過ぎると言う事で、いつしか作付される事が無くなりもち米としては消えていきました。

戦後になり、もち米もこがね餅を中心として色々品種改良されて現在にいたるなか、庄内の一部の農家の方から女鶴を復活させたいとの声が上がる様になりました。
そんな復活を願った5人の有志がつどい、存在も危い種米を探し出し、東京の農作物研究所に種子を持ち込んでバイオ栽培にかけてもらい、その中の成功した籾を持ち帰り、平成3年に酒田市に開設された庄内バイオ研修センターにて品種改良に取り掛かり、2001年から平田地区は円能寺地区において作付が開始されましたとさ・・・

「女鶴」は本来、草丈1m以上の長さだったのを品種改良により丈の長さも85cm前後に縮め収穫量も大幅にUPしたそうです。
しかし、この女鶴は庄内の土壌でなくては育たない米らしくて平田の円能寺地区でしか作付出来ないとの事でこがね餅とは違い全国的に作付が無理な為にこの庄内のここでしか手に入らない為に幻のもち米と言われる由縁だそうです。

「女鶴」の特性はこがね餅の粘りよりさらに強くその食感は味わい深く餅にすれば餅好きが泣いて喜ぶほどのもちもち感にあふれ、赤飯やおこわにすればさらに白米との相性もよく冷めても粘り感をいつまでも楽しむ事が味わえるとの事だそうです。
因みに、残念ながら弊社では仕入れる事がまず叶わない商品のひとつであります。

この「女鶴」と出会ったのも14~5年前で、前職の頃に庄内に来て庄内の風景に魅了され山形県内の日帰り温泉施設巡りをしていた頃で、庄内は八幡町(鳥海山の麓にある町)の日帰り温泉施設からの帰りで国道ではない県道を車で走り帰路に向っている時でした。
県道と言っても農免道路といってもいいくらい田んぼの中を通っている道でして、そんな道を走っていた時に円能寺と書かれていたモニュメントに眼を奪われました・・・
円能寺と書かれている脇に餅を突いている杵と臼がありその上に鶴が飛んでいるモニュメントが立っていたのでした。最初は、何かの伝説が残されているのかと思っておりましたが調べていったら「女鶴」のもち米に出会ったと言うことでした。

因みに弊社では、既存のみやごがねを取り扱っております。
店頭の方で購入されるお客様に、宮城県発祥のもち米ですよね?などとよく聞かれますが其の度に宮城発祥ではなく宮城県で栽培されたこがね餅なのでみやごがねと言うのですよとお教えしたりしています。

ここで、こがね餅の歴史にも軽く触れさせて頂きます。
昭和31年に新潟県農業試験場にて、母米信濃糯3号に父米の農林17号を掛け合わして誕生したのがこがね餅でして、それより2年遅れた昭和33年に宮城県農業試験場で作付を開始して誕生したのがみやごがねの始まりです。
さらにそのこがね餅を父米として母米奥羽227号米を掛け合わせ誕生したのがひめのもちというもち米でして昭和47年に東北農業試験場で誕生しデビューの形になったとの事でした。

春の旬の食材が色々出回ってきているこの時期にこそ、旬の食材を生かしておこわご飯でも炊かれてみてはいかがかと思い、今回はこれにてお開きと致したいと思います。

宮城県産みやこがねもち

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