震災と粗食

卸町店長の千葉です。

皆さん、大型連休はいかがお過ごしでいましたでしょうか?

自分はと言えば、家でダラダラしながら昼間からお酒を飲んだ
りして過していましたね・・・
何もせず、ただ昼間からお気に入りの発泡酒を口にしたり、日
本酒を試したりなんて此れほどの贅沢はないと思うのは自分だ
けでしょうか?

今回も、前回に続いて粗食のすすめから話題を拾って行こう
かなと思っておりました。粗食と言うと我々宮城県民ほど粗食
に向き合わなければならなかったと考えされた時期がありまし
たね。それは、3,11の大地震に遭遇したその瞬間からでした。

3,11の震災直後、仙台市は一部の地域を残し陸の孤島と化し
てしまったからです。宮城野区・若林区の海沿いの居住地は津
波の被害により海と化して隣接している名取市・多賀城市も海
と化して仙台市に交通は遮断され関東圏同様に帰宅難民が多数
でました。地震が遇ったのが一般の会社がティータイムを取り
始める矢先の時間でしたので後少しで仕事も終わり、それぞれ
のアフターを考えて仕事をされていた筈です。地震がおきて、
直ぐに飲食店やコンビニ・スーパーは閉店を止む無きせざる状
況になり帰宅難民になられた会社勤めの人々は飲まず食わずの
まま不安な夜を迎えた方が多くいられたそうです。

東北3県の被災地の中で宮城県は空からの玄関口になる空港
が津波の影響で麻痺し他県からの救援隊も辿り着くのが困難な
陸の孤島になってしまっていました。ライフラインも閉ざされ
ている為に地震から一夜明け、県内の全てのコンビニやスーパ
ーはあるだけの在庫を被災した県民の為に提供し被災した我々
も手に入れられるだけの食料品のみで飢えをしのがなければな
らない状態でした。

電気・ガス・水道の3本柱が麻痺している為、それぞれの家
庭では供給された僅かなお水を使い卓上のガスコンロなどを使
用して手に入られた食糧を使い空腹を満たせざる状況ゆえ普段
のあたりまえに食事ではなく本当の意味での粗食を余儀なくさ
れたと言っても過言ではないと思います。

自分はと言いますと、地震がおきる数時間前にご飯が炊き上
がり、お風呂も済ませた後でしたので震災直後の2,3日は炊き
上がったご飯と納豆や漬物があったので何とかお腹は満たして
はいました。しかし、その食糧も尽き始めた時にはラジオで得
たスーパーでの販売の情報を基に街まで買出しに赴きました。
その時、たまたま通ったあるホテルの前で温かいスープの炊き
出しをしていますとホテル関係者の方の呼びかけに出会い本当
に小さい紙コップに注がれたスープとおにぎり一つに涙してし
まいました。ちょうど外は雪が舞っているじょうたいでしたの
でこの時の炊き出しに生きているんだと我々はと強く感じ胸を
震わさせざる時でしたね・・・

本当に、被災地に住む我々はこの時ほど粗食を考えさせられ、
そして食のありがたさを痛感した一年だったと思います。
それでは、また新たに粗食のすすめについての話を次回に持ち
越したいと思います。

 

雑穀おにぎり

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