幻の米 亀の尾からつや姫へ

卸町店長の千葉です。

平成24年に入って早くも半年に突入した今日この頃、皆様は、6月をどのようにお迎えしましたでしょうか。6月になると、あと数日でじめじめした梅雨がやってきますね。梅雨になれば、洗濯もままならなくなったりとかして嫌ですね・・・
ですので、早く梅雨が明けて晴れの天気の日が続く毎日にならないかと思っているじぶんです。

さて、月も新しくなったので新たな話題で、皆様にお話をしていこうかと思います。
以前、山形県庄内地方の幻のもち米「女鶴」の復活の話題にふれた事がありました。その女鶴を復活した有志たちを駆り立てた、一人の青年が起こした幻の米復活のお話とその米がもたらした新たな息吹についてお話していきたいと考えています。

女鶴の復活よりさらに遡った1980年代の頃、新潟県三島郡和島村に小さな造り酒屋がありました。そこの蔵元のまだ若い専務さんが、自分の処の蔵人の杜氏さんから若かった頃に亀の尾のお米で醸したお酒を飲んだ事があり、それが凄く美味しかったと話を聞いた事があったそうです。ベテラン杜氏の話された事なので、その亀の尾で醸した自分の蔵で作ってみたいと言う気持ちに駆られたそうです。

「亀の尾」とは、女鶴と同じで庄内地方で産まれて戦前まで東北全体で作付をされていたお米です。そして、今、我々が食卓で食しているこしひかりやささにしきの誕生に基づいたお米です。その戦前に作付けされ消えていったお米ですので、女鶴と同様に種籾があるかどうかも分からない米を当時20代後半の成年が復活という夢を掛け、動き始めました。まず、手始めに地元のJAや農業試験場に話を持ち込んだところ、新潟県農業試験場の方に僅かばかりだが種籾が残っていたとの事で、県の農業試験場の方から1,500粒の種籾を譲り受け1980年(昭和55年)に蔵元が作付を開始しました。

亀の尾は、女鶴と同様で稲穂の丈が長いうえに害虫被害に遇い易く手間隙が掛る為に作付農家に敬遠されて消えていったお米ですので、蔵元はあえて手のかかる亀の尾を農薬も何も使わない有機栽培でその年の秋に見事に亀の尾を実らせたのでした。しかし、お酒を造るにはまだ充分な収穫量ではない為、翌年そして翌々年にかけて作付けを繰り返して、1983年には亀の尾を使って醸しだしたお酒造りに取り掛かったそうです。この話が、お米を栽培している農家や造り酒屋に話がつたわったそうです。

「亀の尾」とは、山形県庄内地方で誕生したお米で昭和の初期まで、東北を中心として作付けされていたお米です。この亀の尾が誕生するまでにもひとつの物語がありました。1893年(明治26年)山形県庄内地方の余目地区に一人の若者がいました。若者の名は、阿部亀治(1868~1928年)と言い貧しい小作人でした。明治26年、東北を冷害が襲いました。その年の秋、亀治は地主に頼まれて清川の谷矢沢地区に使いに出かけておりました。その帰り道、谷矢沢にある熊谷神社に参拝により帰ろうとした時でした、冷害で、米が壊滅状態の田んぼに倒れずに稲穂の頭を垂れた稲が3本立っていました。それを見た亀治は、土地の所有者に頭を下げてその稲を譲り受けました。

亀治は、持ち替えた稲から種籾を取りそれを翌年から2年にまたがり育成し一人で研究に励んだそうです。最初の頃は稲の丈が高くて風などに倒れて思うほどの収穫も得られずにいたそうです。

試行錯誤を繰り返しながら明治28年に本格的に作付を開始し出来るところまでにきたそうです。亀治は、この時に出来た種籾を冷害で苦しんでいる回りの農家に分け与え余目地域全体で作付されたそうです。最初は、この米を「神の稲」・「新稲」等と呼んでおりましたが、亀治の功績を讃えた友人らは亀治の名をとり「亀大将」とか「亀の王」と名づけるようにすすめましたが、亀治は、自分は一介の小作人で身分の高い人間ではないので本の端の人間だからと己を蔑むようにして「亀の尾」と米の名をめいめいしたそうです。

その「亀の尾」を復活させた新潟の造り酒屋の作付より遅れること2年の1983年に、亀の尾の生誕地は余目地区にある同じく造り酒屋さんでも亀の尾の復活に向けて動き出したそうです。此方の蔵元さんは、1970年代に亀の尾の復活を掲げていたそうでしたが、新潟の蔵元に先をこされて悔しい気持ちと復活までのプロセスが参考としてあるので復活に動き出したそうです。余目の蔵元さんは、運良く阿部亀治のお孫さんに当たる方から自宅に残っていた僅かな種籾を貰い受けて、亀の尾の復活に挑んだそうです。

この2組の造り酒屋の取り組みが、全国の造り酒屋や稲作農家の人々に多大に影響をあたえたそうです。その例が「女鶴」のもち米の復活や新品種の酒米の開発への後押しや近年では、やはり戦前に消えた米「雄町」の復活に結びついた物と言っても過言ではないかと思います。

「亀の尾」から種子改良されて「亀の尾4号」ができ、更にそれを品種改良して「愛国」が生まれ、そこから枝分かれをし「こしひかり」や「ささにしき」が誕生して現在に至っているわけです。

山形県では、庄内地方での亀の尾が復活し定着してきた事で、亀の尾の流れを汲んでこしひかりが生まれ作付されているのを見越して、亀の尾の流れを直にし、こしひかり等に劣らない新たな米を開発しようと取り組み誕生したのが最近、話題の「つや姫」なんですね・・・
この「つや姫」の誕生までのプロセスは、いずれまた改めてお話できればと思います。

新潟県の山間部にある小さな造り酒屋の当主が起こした軌跡が、いたるところでの新たな取り組みの架け橋になり今日へと受け継がれている事にこそ開拓者の息吹をひしひしと感じると言いたいですね。そんな開拓者さんにただひたすら敬意を表したいです。